アンティークといえば最近では、すぐ「お宝鑑定団」が思い浮かばれるのは、困ったものである。先祖が大富豪だったり、お寺の住職であったりして、その遺品を人に見せて、大先生に値踏みをしていただいて喜んでいるというのは、どうも上品な趣味とは言い難いものがある。
常々、私はアンティークには2つのスタイルがあると思っている。1つはあまりにも芸術的価値が高すぎて、ただ飾っておくだけという物であり、もう1つは、使ってみるのが前提の物である。ただし普段は使わない。客があったときとか、特別のときにそっと出して使うのである。私は前者は美術骨董、後者を生活骨董と区別している。
私は、この生活骨董こそが骨董の醍醐味だと思っている。昔の名もない職人が作った品物が、「時」という不思議な味を付け加えられて、どんな高級な現代の物より人を喜ばせる物がある。これはいったい何なのだろうか?
家具で例えれば、今の家具が工場でチップボードや合板を材料として大量生産され、無機質な全く味のない商品になり、やがては粗大ゴミになって消えてゆく運命にあるものと、昔の名もない職人が、1枚の木から丁寧に作り上げた家具との違いであろう。
私の店は、こうした今の生活に取り入れられる古い物を中心に、私の好きな物が置いてあり、いわば自我をモロダシにしているとも言える。ある意味では、イギリスへ行って面白い物を物色し、お客様より先に自分が楽しませてもらっているのかも知れない。
それに西洋アンティークをやっている我々は、上下関係や、先輩後輩のしがらみがないから外国へ買い付けに行けば、誰にも何も言われないで仕入れができる。一方和物の業者は、仲間どうしのつき合いを大事にしないと、商品が入ってこない場合が多い。そのため気に食わない先輩でも我慢してつき合わざるを得ないのだ。